2015/07/27

ハイキュー!! 第167話 個VS数


ストレートキレキレ野郎w
そのままじゃないかもうちょっとなんか無いのか単細胞よ。

個と数、読み返しと知識がたりないことを痛感しております。
数、の指すものがコレだ!と嵌らないのでいつもより更にぼやっとした感想になるのが否めない…が、書く。


歪みなく個人を鍛え上げた絶対値の高い集団は当然のごとく強いというのが白鳥沢の理念であれば、烏野が掴みうる強さは粗削りでまだ歪故に生まれる組み合わせの多様さからくる強かさとでもいうのか。
不確定要素を含むからこそ、どんな相手に挑んでも可能性を持ち続けることができる逞しさがまた生じる。

どちらも、王道。
真っ向勝負。


月島が自分の中で形作られてきたものをついにはっきりとした言葉にした。
開き照らしたのは守護神の前の道だけじゃ無い。
自分の前の道がはっきりと見えたからこそ、周りが見える。
広がった視野で捉えた仲間の位置にボールを持っていくために、1球1球の辿るルートをプログラムに落とし込む作業を淡々と続ける。
そして組み上げたシステムが上手く動いた時に点数と快感を得る。
部品がまたひとつ嵌った。


どんなに良い部品でも、嵌まる場所が無ければ持ち腐れていくしかない。
そんなことばかり起こる中でこれらのチームがあるというのはまさに奇跡だ。
一般的にとても狭い道を目指していたとしても、あるべきにあれば全く問題にはならない。
その場所を見極める目と掴み取る根性とそこにありたいという情熱と、どうしようもない少しの巡り合わせ。
そんなものの結果、白布のようであったり明光のようであったりするのだ。

さてこれから、シンクロを容易く見破られたっぽいがこれはどういう風に流れるのか。


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2015/07/20

ハイキュー!! 第166話 守護神と月明かり


攻守共に高さが何よりのアドバンテージになるバレーボールで、リベロは背の低いプレイヤーが唯一活躍できるポジションだとよく言われる。
ボールを拾うというとてもシンプルな役割は確かに高さの呪縛が届かない領域だった。
ボールをこちらのコートに運んでくる相手プレイヤー対それを拾う自分という単純化した図式において、レシーバーに高さの要素は必要ないのだ。

対等なのは唯一自分だと自らを焚きつけて集中を研ぎ澄ませていく。
努力ではどうしようもないところは現実問題として存在するにせよ、自分の果たすべき役割にその要素は介在しない。
つまり、その結果はすべて自分の実力に帰すと。
あえてそう宣言する西谷の意志がチームメンバーに伝わらないわけもない。
有言実行してきた彼への信頼は迷いのないプレーとなって表れる。

それぞれの役割を最大限機能させるためにそれぞれが動くというのはチームプレーで一番基本的で難しいことだ。
今烏野で攻撃の指揮権を持っているのが影山であれば、防御の指揮は月島がとっていると言っていいだろう。
見ているものや見えているもの、解釈の違いまでもが食い違っているような2人だけどもここまで対極にポジションがはまってくるともう気持ちがいいね!
うわーなんだこのチーム1年が末恐ろしい。


それにしてもウシワカよ…デジャヴュなことを言ってのけてくれるわw
影山と違って全部声には出てるけれど日向の中ではきっちりと同じ箱に収まったようです。
でもそうだよね、馬鹿素直な影山にしてみたらすげえ人である牛島と似てると言われたら喜ぶしかないわな…。

なんだろうかこの2人の違いは。
器とかそういうものにしかならないのか?
ずば抜けた才能と技術とストイックさを持っており、勝つためにと同等のものを周囲に求めて拒絶された影山。
それに対して牛島はただあるべきと思うことをひたすらにやって来たイメージだ。
無自覚に他者を引き上げ、もしくは相当のメンバーを集めてしまうようなオーラが彼を純粋なままでここまで育てた。
そしてそれは無意識だからこそ終わることのないループだとでもいうのか。
只管に前に進もうとする限り、彼の前の道が拓けていく。
何かどこかで立ちいかなくなることがあるのだろうか。


相変わらず盛りだくさんだよ!
古舘先生、この気候で体調崩されませんようと見事に崩した人間から念を送っておきます。
土曜発売は次まで長くてツライ。


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2015/07/13

ハイキュー!! 第165話 一貫

またその時代を通り過ぎた人間にガツンと来るものを…!
痛いなぁ、もうほんと容赦してくれないですね古舘先生。

スポーツ推薦が多くを占める白鳥沢で、一般枠からレギュラーの座を勝ち取っている白布のストーリーだ。
それもまた強烈な憧れを追い求めるものであった。


あんな風になりたいと思っちゃったんだよ、と日向は言った。
原動力は憧れ、そう書いてしまうと同じなのに全く違う方向にその推進力が向かった2人がいる。
憧れを向けるその姿を自分に当てはめる追随したいと思うものと、その姿がそうあるようにただひたすら尽力するものの違いとは何だろう。

どっちの心情も理解はできるけど、個人としては日向パターンで結局才能が追いつかず兎に角悔しい思いをして、自己防衛的にそのことに対する興味自体を見て見ぬふりをするのが関の山だ。
突き詰めるといくつかのターニングポイントがあるんだろう。

日向パターンはもう散々呟いてきたけれど貪欲さとか好きだという純粋なパワー、外からどう見られているかを気にしない自意識のありようなんていうものか。
真っ直ぐに眩しいほどの渇望だ。
現実的な話をするとそこに到達できる可能性が自分のなかにあると感じられるかどうかなんてのもあるだろうけれど。

それに比して白布パターンはどろどろした沼を越えたところに着地する。
誰もがもつ一段高いところにいる人間への憧れから一転、自身を見返したときの絶望感。
多くは身の丈にあった居場所を見つけてその中で自分のゴールを設定していく。

しかし白布のような人間の場合は、そのゴールが自分自身にない。
眩しいものがただ眩しくいればいいというわけでもない。
震えるような存在をただ支えることに喜びを感じているのでもきっとない。
その成り立ちに自分が関わっていかずにはおられない欲求に苛まれていく。
自分がそれを眩しく輝かせているのだという支配感やエゴイズムが根底に滔々と流れていく。
求めて止まない充足感を得られるのであれば姿なんか真っ黒に塗りつぶされることも厭わないほどの執着は、生きることの意味さえ完成されてしまったかのようだ。

誰かのサポートをしていくことに喜びを見出すこと自体は全くもって正常な反応の一つだと思うし、縁の下の力持ちでいたいというのも素晴らしい。
けれど白布くんの場合は滅私の度合いが今回のところ半端なくないですか。
この後自分へのフォーカスを取り戻したて涙したりするんですか?!

何だか抉ってくるわ彼…。

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